1996-02-22 第136回国会 参議院 建設委員会 第3号
私は、札幌で十四日に開発局の幹部、これは官房次長二人と課長二人の前でこういうことがあると話をしたら、四人とも知らないんですね。そういうことに関心を持っていない。私は本当に驚いたんだけれども、この崩落の後に具体的に何か調査されたのかどうか、それをお伺いします。
私は、札幌で十四日に開発局の幹部、これは官房次長二人と課長二人の前でこういうことがあると話をしたら、四人とも知らないんですね。そういうことに関心を持っていない。私は本当に驚いたんだけれども、この崩落の後に具体的に何か調査されたのかどうか、それをお伺いします。
私に応対してくれたのは、官房次長が二人、課長が二人。ところが、だれ一人として、いやそれは知らない、こう言うのです。それから、総点検をちゃんとやっているのかねと聞いたら、建設省の命令によってちゃんとやっておりますと。やっておりますけれども、ではいつやったんだと言ったら、いやいつでしたかね、こういう調子なんですよ。 私は、本当にこんな無責任なことがあるかなと思いましたね。いつだったかわからない。
○久世公堯君 さすがは総務庁長官で、北海道開発局には官房長に官房次長というのが二人もいる、こういう組織でございます。 ところで、石田長官は片山委員の質問に答えて、この三庁統合はやる時期が問題だと言いながら、羽田政権としての意思として現在やるということを決めているわけでございます。決めたとはっきり言っておられます。
幸い天候にも恵まれ、また同行の北海道開発局官房次長並びに稚内、網走、釧路、帯広の各開発建設部長より、車中にてそのつど現地説明を聴取いたしましたので、北海道開発の現状はこの目で十分把握してまいりました。 以下、私たちが感じました点や視察先で述べられました要望事項に重点を置きながら、順を追って調査の概要を申し上げます。
これは、滝川という元官房次長が最近世界各国を回っていろいろ視察しておられますが、これは国民不在の赤字対策だと、こういうふうに言っておられます。非常に冷静な方であると思うのですが、項目をあげて言っておられるのです。私はそういうことで、患者や国民に犠牲を強要しながら、赤字対策をやりながら、その日暮らしをやるというようなことは、これは絶対にいけない、許すことはできない、こう思うのです。
長じて鎌倉中学より開成中学に転じ、第一高等学校から東京帝国大学法学部に進み、昭和九年卒業、直ちに大蔵省に入り、広島税務署長、興亜院事務官等を歴任し、後に内閣参事官、経済安定本部員を経て退官をされ、昭和二十三年第二次吉田内閣の官房次長に任ぜられました。 昭和二十四年一月、第二十四回衆議院議員総選挙に岡山県第二区から初出馬し、強豪に伍してみごと当選の栄を得られました。
私は、昭和二十年に当時の総理大臣秘書官を勤め、二十三年には内閣官房次長を勤めておりました者でございます。戦後の食糧事情最悪の事態に立ち至りまして、宮城に米よこせ運動が押しかけるといったような当時であります。当時のGHQへ食糧の緊急輸入の懇請に参りましたこと再三であります。ガリオア・エロアの全部が占領軍が勝手にやったことで、われわれの知ったことではないという感じは、どうも正しくないと考えます。
郡君は、昭和四年大学を卒業後、宮城県、京都府等に職を奉じ、内務省地方局長、石川県知事、内閣官房次長を歴任、昭和二十五年参議院議員に当選せられ、物価政務次官、法務委員長、議院運営委員長を歴任された方でありますが、特に昭和二十三年一月から同二十三年十二月までの間、全国選挙管理委員会事務局長として職務に当られ、選挙については貴重な経験を有しておられる方であります。
それからこれは私は前にも田中官房次長などにもお願いしてあったのですが、この制度ができてる場合に一番の利害関係者である公務員の代表者を委員の中に入れてほしいということを私は強調したのですが、あなたのさっきの御報告によると、公務員制度などはあまりお考えにならない大臣諸公の顔ぶれと、それから学識経験者ですか、いつも使われる皆さんのお手のものの学識経験者だけが出まして、一番被害を受けたり何かする立場の発言権
それから二十三年の十月に大蔵大臣官房次長に就任いたしました。二十四年の六月に経済安定本部総裁官房次長に就任いたしました。昭和二十六年五月に現職についた次第であります。
ただ観念的な意味で財政上措置できなかつたという説明だけではあきたらない、給与というものは数字がものをいうのでありますから、政府はほんとうに出せないなら出せないように、りつぱにその計数を示して委員会で堂々と闘うべきだというふうに私は考えるのでございますが、その当時の当面の責任者もきようおりませんし、この前この件に関しては大蔵当局から詳細に説明されるという言質もとつておりますので、田中官房次長との質疑応答
私は一昨日官公労の方がデモをやつた場合に、田中官房次長もまた官房長官も、あそこでいろいろ応待しているのを見ましたが、財源がないという一本やりだが、私はそういうふうなものであつてはいかぬと思う。
厚生省には内局として七局があり、事務の分量も極めて多いだけでなく、その所管事務と技術に亘る複雑なものであり、更に官房内に二つの監もあるのでこの際官房を統轄する官房次長を必要とする。 今次国会において制定された戦傷病者、戦没者遺族等援護法施行の中心をなす年金、弔慰金等の支給資格に関する裁定事務を所定の期間中に行わしめるには、引揚援護庁を内局とすることは少くとも今年度中は避けるべきである。
只今の税務署支署でございますが、官房次長から申上げましたように、只今のところはまだ現在の署を支署に格下げするということを決定いたしておるわけでございません。といつて、それじや支署を新らしく殖やすのかという御質問でございますが、これ又まだはつきり決定はいたしておらんのであります。
○成瀬幡治君 ちよつと官房次長にお伺いするわけですが、若し仮に五月三十一日までにこういう法案が上らないのなら、これは恐らく政府としても予定しておられたと思いますが、そういう場合に政府としてはどうするつもりなのか。
なお政府部内の災害対策といたしましては、昨日内閣におきまして、官房次長が主催いたしまして、各省の関係官が集まつて、災害の状況並びに対策に対する意見等をいろいろと連絡いたしたのであります。
政夫君 高橋龍太郎君 山崎 恒君 油井賢太郎君 森 八三一君 国務大臣 国 務 大 臣 周東 英雄君 政府委員 大蔵省管財局長 内田 常雄君 大蔵省主税局調 査課長 泉 美之松君 経済安定政務次 官 小峯 柳多君 経済安定本部総 裁官房次長
それでこれがさつき申しましたように、数度申したことでありますから非常に皆さんもお聞き苦しいかと思いますが、実はこの御返事の中にもありますが、先般社会党の内部の会でその話が出ましたときに、たまたま列席いたしておりました片山内閣の官房次長でありました曾祢益君が、それは自分も責任があるのだが非常にこれは間違いであつたかなあと言つておつたのでありますが、全くその通りでありまして、この現行警察法は片山内閣のときにできたものであり
地方自治政務次 官 小野 哲君 国立世論調査所 長 小山 榮三君 大蔵政務次官 西川甚五郎君 大蔵大臣官房長 森永貞一郎君 厚生政務次官 平澤 長吉君 農林政務次官 島村 軍次君 運輸大臣官房長 荒木茂久二君 労働政務次官 山村新治郎君 労働省労政局長 賀來才二郎君 経済安定本部総 裁官房次長
中川 以良君 九鬼紋十郎君 野田 卯一君 藤野 繁雄君 兼岩 傳一君 政府委員 外国為替管理委 員会委員長 木内 信胤君 経済安定政務次 官 小峯 柳多君 経済安定本部総 裁官房長 平井富三郎君 経済安定本部総 裁官房次長